『魂うた』というワークショップのこと⑥〜エロくワルく。

女神山二日目、一通り歌を聴き合い、
寝食もともにした僕らの歌は
どんどん沁みるようになっていった。

その人がどんなふうに生きてきたかを知らないのに、
いままでの人生が透けて見える。

「わかるなぁ、その苦労わかるよ」と言いたくなるような歌もあった。
泣き崩れてしまいそうになるのを必死にこらえて出す一声もあった。
心はビンビンと反応して、たびたび涙腺を叩いた。

この日のことを綴った日記には、こうある。

「本当に宝(美)は持ち腐れているのだなあ。
この歌がどこでも聴けないのはもったいない」

僕は、オリジナルラブの『接吻』を歌った。

「長く甘い口づけを交わす」という
サビからはじまるアダルトな歌で、
綜海さんが書いた案内文の冒頭にも引用されていた。

気持ちよく歌ったあと、綜海さんにこう言われた。

「エロく歌って」
「ワルく歌って」

一瞬、冷や汗をかくような気持ちになったのを覚えている。

場面は飛ぶが、おととい、
この記事を読んでいたパートナーがこう尋ねてきた。

「魂うたは分かるけど、どうして愛、エロス、セクシュアリティだったの?」

当時の僕は、エロスやセクシュアリティをいやらしいものと捉えていた。
それはしてはいけないもの、罪悪感があるからこそ興奮するものだった。

同時にそれは命にかかわる大事なことのようにも思えた。
真面目に向き合ってみたいけれど、
そんなことを面と向かって
話したりするのも気が引ける。

歌ならば、
最悪そこに逃げ込むこともできるから
大丈夫かもしれない。

そんなふうに思って申し込んだんだよ、と説明した。

前に僕は女性の中にいることが多かったと書いた。

そのときの僕は「安全であること」をアピールするために
「やさしくていい人」になる術を身につけていたと思う。
エロくもワルくもない自分であるから、
いっしょにいても平気ですよ、というように。

「エロく」「ワルく」という綜海さんの指示は、
そうした自分を見透かすようなものだったんだなと振り返ってみて思う。

結果的に最初の『魂うた』から二年経って、
僕の中の男性としてのあり方や
「愛」「エロス」「セクシュアリティ」の定義は
大きく成熟することとなった。

でも「エロく唄って」と言われたときの自分は
もちろんそこまで分かってはいなかった。

どうしてそんなことを言われるんだろう?と思いつつ、
たじろぎつつ、でもその場には安心しきっていたので
宴会芸を無理矢理披露するときのような感じでええい、と歌った。

エロく。ワルく。

その歌は聴いていたみんなから絶賛された。

この日の日記にはこう書かれている。

「そして俺は、本当に自分の魅力を知らない。骨盤にくるらしい」

翌日もたくさんの歌を唄って、聴いて、
僕は『魂うた』に夢中になった。

帰りの別所温泉駅には桜が妖艶に咲いていて、
少々色っぽい気分で帰路についた。

そして、その二ヶ月後にまた女神山に行くことになる。

(つづく)

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