『魂うた』というワークショップのこと⑩〜僕の目は節穴だった。

2015年5月、すっかり行き慣れた女神山で
「魂うたファシリテーター養成コース」がはじまった。

北海道から九州まで、国内の広い地域から
後に仲間になる参加者たちがやって来た。

通常の『魂うた』をしたり、
理論的な説明を聞いたりして過ごした後の二日目の夜。

「じゃあ、誰かファシリテーター、やってみる?」

と綜海さんが言った。

綜海さん以外の誰も『魂うた』をファシリテートしたことはない。
場に緊張感が走るのが分かった。

なのに、思わず手を挙げていた。

だいたいこういう場面だと「出しゃばりかな」と思い、
強引に行くか出るのを控えるかするのだけれど、
このときばかりは“思わず”手を挙げていたという感じだ。

「じゃあ、扉の向こうに行って“ファシリテーター”になって入ってきてね」
と言われた。

どういう意味なのか分からないまま、
みんなのいる部屋を一度出て、もう一度入る。

そして歌う人の名前を呼び、場の中央に招いた。

それからどうしたのかは覚えていない。
とにかく何をしたらいいかさっぱり分からないので
しどろもどろになりながら進行したと思う。

それでも『魂うた』は起きた。

日記にはこうある。

「本当にどうしていいか分からず手がふるえた。
歌も入ってこなかったし照れくさかった。
ぎこちなくもあった。
でも、結果的に歌い手さんが満足してくれてよかった」

それが僕の『魂うた』ファシリテーターとしてのはじまりだ。

手がふるえて、ぎこちなくて、照れくさくて。

でも、紛れもなくそれはあの『魂うた』だった。

その後は次々と仲間の研修生たちが
『魂うた』のファシリテーションをしていった。

一人ひとり個性があるので、関わり方もちがってくる。
でも、ちゃんと『魂うた』になった。

それぞれの「やさしさ」が見事に表に出てきているように思えて
「こんなにもたくさんのやさしさがあるんだなあ。いい世界だなあ」
と思って泣いた。

この合宿が終わった後、僕は研修生として
全国を飛び回りながらミニワークショップや1dayをさせてもらい、
「㐧二音楽室」を立ち上げ、
11月後半に再び女神山に行って
『魂うた』の認定ファシリテーターになった。

そのあたりのことを
フェイスブックページ
メールマガジンに書くようにもなった。
これからもいろんな記事が増えていくはずだ。

『魂うた』に出会って、恋してから2年。

それは僕に将来やっていきたいと思える
<仕事>を与えてくれた。

さらに、僕は先月婚約までした。

どこまでが『魂うた』の影響なのかは分からないけれど、
とてつもない二年間だったと思う。

この連続投稿をはじめる前、
僕は『魂うた』が楽しいだけで、他の人のように
「歌を取り戻した」とか「癒された」とか「人生が変わった」
というような経験がないからダメなんじゃないかと思っていた。

僕の目は節穴だった。
誰よりも『魂うた』に人生を変えられたのが僕だった。
たぶん、いまでものび太が眼鏡をとった「3」みたいな目なんだろう。

ただ楽しんでいただけで、人生が思いっきり変わってしまった。

それが僕の『魂うた』経験だったと、振り返ってみて思う。

これから僕の『魂うた』に参加してくれる人がそんなふうになるのかは分からない。
でも「3」の節穴でもそうなれたのだ。
だから、こんなめちゃくちゃな人生もあるという事実が、
いつか誰かの役にたつこともあるんじゃないかとちょっと思っている。

(おわり)

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