嘘と本当と、真実。

今日のタイトルは、
「嘘と本当と、真実」。

最近、このことをよく考えます。

ちょうど愛読している
「ほぼ日」の記事に
「本音と建前」の話がありました。

この記事で語られている、
ブレてしまう「本音」とは別に、
僕たちの内側には
「真実」と呼べるなにかがある。

『魂うた®』での体験から、
そう確信しつつあります。

その「真実」は、
本人が自覚しているとは限りません。

自覚していないことのほうが、
多いんじゃないかと思います。

『魂うた』で、
参加者のみなさんといっしょに
触れにいくのは、そこです。

ちょうどいま、
8月27日(土)に行った
新浦安『魂うた』の感想が
とどいていますが、その中にも

あの歌で泣くとは思わなかった

曲の中のひっかかるところが自分としては意外だった

といった言葉が並んでいます。

自分でも予期せぬところに触れることで、
起きてくるさまざまな出来事。

ある方は

何か大きな力が働いて、
サポートしてもらっているとしか思えないくらいの
大きな変化や深い気づきでした

とおっしゃっていました。

真実、本質、魂……
呼び名はいろいろあるけれど、
どうも、
僕たちが自覚している「自分」の中には
フタ(仕切り?)のようなものがあって、
その奥底で息づいている
なにかがあるらしい。

でも、それにどうして
「真実」などという、
いかにも価値がありそうな
名前がつくのでしょう。

その理由は、
『魂うた』に来てもらえば
一目瞭然なのですが、
いただいた感想の中にも

みんなその人の本質に戻っていく感じ

という表現がありました。

真実が、本質が、魂が
なにかは知らなくても、
「ああ、これは本質だ」
と人に感じさせるもの。

そういうものがあるんじゃないか、
と僕には思えます。

「何か大きな力」だって、
大げさにとらえなければ、

その日そのとき、
その人たちが集まった偶然、
歌われる曲の順番、環境、
そうしたもの全部が影響していて、

誰一人欠けても成り立たず、
しかし、誰の手からも
離れているような出来事が、
そこに起きています。

だから、
あまりにも当たり前に、
それは、ある。

そして、もしかしたら、
いま僕が避けた
「大げさなもの」
も含めて、たぶん、
あるんでしょうね、きっと。

僕は自分の中で、
真実、本質、魂といった表現に
抵抗があったんですが、
これだけ目撃していると
「まあ、あるよね」
と、その抵抗が
だんだん解けはじめています。

自分がどんなに抵抗したって、
現実のほうが見せてきたら
「そういうもんか」
と思ってしまう。

最近、自分としては
「とんでもない」
と思っていたものも
「もういい。あってもいいことにする!」
と解禁したのですが、
その話も、やがては
「そういうもんか」
になっていくのかしら。

人生って、
「なんかすげぇ」
です。


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