縦の糸、横の糸、蜘蛛の糸。

僕の身のまわりでは、
ときどき、別々の場所で
同じテーマを語っているものに
触れることがあります。

昨日は「編み物」でした。

最初は、愛読している
「ほぼ日刊イトイ新聞」のコラムの中で。

そこには、
機械でセーターが大量に効率的に編めるようになって、
失われた二つのものについて書かれていました。

一つは「わたしは編みたいんだ」という気持ち、
そして、もう一つは、

人の「手で編んだもの」を身に着けたいという気持ち。
人がひと目ずつ編んで費やしてくれた時間を、ありがたく思うようなことなのかもしれない。

この文章を読んだときに
「ひととひととの関係も、手編みのようなものかもしれない」
と思いました。

『魂うた®』で多くの人が好んで歌う
中島みゆきさんの『糸』に

縦の糸はあなた 横の糸はわたし

という歌詞があります。

そして、5月に『人のためになる。』
事前インタビューで、橋本久仁彦さんも
こんなことをおっしゃっていました。

ぼくの言う関係性っていうのは、一対一っていう より織り込まれてるわけだ。

お母さんが助けてくれて、おれとの関係がある。
同時に他のものと全部関係しているという関係性で、織物みたいなもんだね。

その中にいますので強いよ。
で、弱くなったってその中にいるのは間違いない。
強くなったってね、君が強くなったら横にはまた弱い人がおるかもし れんから、手ぇ差し伸べたりとか、ま、そういう、網の目のような関係性だ。 それは強いですよ。

縦糸のあなたと、横糸のわたしが出会って、
その交わる場所になにかが生まれる。

その交わりは、やがて大きな布になっていく。

織りなす布は いつか誰かを暖めうるかもしれない

というわけです。

そう思うと、
仕事にせよ、そうでないにせよ、
僕らは、誰かと交わって、
そこに一枚の織物をつくっている
ってことになるんでしょうね。

糸を強引に引っ張る人もいるし、
やさしく結ぶ人もいるし、
こんがらがったのを、ほどいている人もいる。

この日、最後に思い出したのは、
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』でした。

この寓話のなかで、
おしゃかさまが垂らす蜘蛛の糸は、
カンダタにとって
最後の「関係性」だったのかもしれません。

それを自分のためだけに使おうとした瞬間、
糸は切れ、
彼はふたたび地獄の底へと落ちることになった。

僕が㐧二音楽室の仕事をはじめた頃、
まわりの人がみな「焦るな」と言いました。

それはきっと、
手編みのセーターのように
ひと目ずつ編んでいく関係性のことを
よく知っていたからなんだなと、
いまになって気づかされます。

***

(よかったらクリックしていってください。)
http://blog.with2.net/link.php?1800152


シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする