触れたくて、触れられずにいる時間に。

昨日、友人の家に行き、
冗談交じりに語っていたことが
帰ってきて、ものすごく大事な話だったと気づいた。

先日の『歌の稽古場』でもそうだったけれど、
大事なことというのは、さりげない顔をして
目の前を通り過ぎていくのかもしれない。

話していたのは
「触れること」について。

僕たち(の多く)は、
生まれてからしばらく
母親や父親にめいっぱい触れられて育つ。

小学生くらいになっても、
手をつないで登下校したりするから、
まだ触れ合いはあった気がする。

けれど、中学生くらいから
一気に人に触れることが少なくなる。

男性は、特にそう。

ディズニーランドなどに行くと、
女の子がキャラクターに
「きゃー♡」と言いながら
抱きついていくのを見るけれど、
なかなか、ああはいかない。

どうにも照れてしまうのだ。
(僕はいまでも、ミッキーたちと目が合うと照れます。)

触れたい。触れてほしい。

そのことが、
異性に興味をもつきっかけにもなる。

ただ、いつのまにか
話はややこしくなっていて、
触れると嫌われるかもしれないという
思いと葛藤したりもする。

そうして、
誰かに触れたり触れられなかったりするうちに、
それは肌だけでなく、
心のことにも関わるのだな、と学ぶ。

心が通い合わずに触れられるのは、
肌であれ、もっと内側であれイヤなのだと、
経験を通して(僕の場合は、失敗を通して、笑)気づく。

そんなもどかしくも素敵な時期を経て、
いま、僕は新婚さんになった。

触れ合うことは日常になり、
手をつないで街を歩くのもふつうになった。

触れるって、こんなに穏やかで、
あたたかいものかと実感している最中だ。

老後までそうしていたい、
という希望はあるけれど、
両親も祖父母もそうしていないので、
変わっていくのかもしれない。

とはいえ、
それほど触れ合わなくなったベテランの夫婦も、
心のほうはつながっていたりするのかもしれない。

そしていま、
僕はその「触れること」にかかわる
仕事をしているんだな、と思った。

主に、
自分で自分に「触れる」という場面に
立ち会うかたちで。

触れたい。触れてほしい。

でも怖い。

どうしたらいい?

異性との関係に限らず、
それは、とても切実で、
どういうわけかややこしくなっている
問いのように思える。

でも、それを問うて、悩んで、
なけなしの勇気を出して近づこうとする中に、
大事なものがぜんぶ入っている気がする。

昨日してた話は、
なんだかそのくらいの話だったなあ、
と振り返ってみて思う。

笑い飛ばしているうちに、
さらりと流れていってしまったけれど。

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