僕は、なにをしているのか。なにを、されているのか。

友人のライター、杉本恭子さんが、
5月に『人のためになる。』でお世話になった
橋本久仁彦さんのインタビュー記事を
公開してくれた。

「わたしたちの身体を通って出て来ようとする言葉たち」

橋本さんの仕事を
これほど分かりやすくまとめたものを、
僕は見たことがなかったし、

<自分>って相手との関係で出てくる
曖昧なもんだよなあ、
という日常の実感を
裏打ちしてくれる話も出てきて、
とても面白かった。

この記事は「第二幕」とあって、
杉本さんは、6年前にも
橋本さんにインタビューを行っている。

それが、これ。

「<フェンス>があるのにつながろうなんて言えない」

最初に読んだときにも、
かなり強い印象があったけれど、
いま読んでも、ぐっとくる。

特に、ここ。

信頼できないと感じる人は、むしろ「善人」です。
社会や大衆の好む観念を自分の意思に置き換えて、無自覚なままきれいごとを信じている人です。

『人のためになる。』という
橋本さんらしくないタイトルのワークショップで、
僕が、自分自身に確かめたかったことも、
このあたりにあった。

僕の仕事は、
「魂」とか「本当のこと」といった
大きい観念にかかわる。

また、
「仕事」をするようになって、
「人が好みそうなこと」
を多く発信しようとする傾向にも気づく。

だからこそ、
上のような文章を見たときに、
その「善人」になってやしないかと
ギクリとする。

「善人」の行動パターンについて、
6年前の橋本さんは、こう言っている。

自分が何を大事にしているかを理解して受け取ってもらおうと
<フェンス>を立てて抵抗している人たちに対して、
「そんな生き方はネガティブである。閉じてはいけない」
というふうに見て、自分のしていることを吟味せずに
相手の<フェンス>を壊しに突進していく。

「良いこと」をしているつもりでね。

例えば、
会社や社会や、あるコミュニティの中で
推奨されている考え方があって、
自分の意思は脇において、それと同化することで、
所属感を得たりすることが、あると思う。

それが高じて、価値観が合わない
他人の<フェンス>
(自分の大事なものを守るために立てている壁、抵抗)
を壊す力を持ちたくなる気持ちも、
わかるような気がする。

そのときには、
自分は「いない」まま、
強い力を発揮できる気がしてしまうから。

会社員時代の自分にも、
会社を辞めて
「社会起業」やNPOなどの分野を
放浪していた自分にも、
そういうところがあったと思う。

いまでも長いものに巻かれて、
そうしようとしてない?と言われれば、
そうかも、とちょっと考えてしまう。

この記事だって、
「橋本さんの考え」
に乗っかっているわけだし。

決して安全な場所から
「僕は違いますけどね」なんて言って、
流せるような内容ではない。疑わしい。

それでも、その「善人」が
人の自由をうばっていく感じや、
この記事の中で
<フィールド>と呼ばれる居場所を
奪われていく人の気持ちには、
強い共感(怒り)をおぼえる。

映画『千と千尋の神隠し』のカオナシが、
荒ぶるものになっていくところや、
ミヒャエル・エンデの小説『モモ』で
時間泥棒に時間を売って、
力を失っていく人たちのたとえにも。

そのあたりの心の動きは、
僕のオリジナルなものだと思いたいんだけど、
どうなんだろう。

もう6年も前の
橋本さんと杉本さんの関係から発せられた言葉だから、
いまや二人とも別の場所にいると思うけれど、
僕は、改めて読んだこの記事に
自分にとっての大事さを感じた。

僕は、なにをしているのか。
なにを、されているのか。

無自覚、という言葉が、突き刺さる。

***

(よかったらクリックしていってください。)
http://blog.with2.net/link.php?1800152


㐧二音楽室 澤 祐典 について

こんにちは。澤 祐典(さわ ゆうすけ)と言います。 「㐧二音楽室」という屋号で『魂と繋がる歌の唄い方®』『歌と相談室』『歌の稽古場』といった人と歌を結びつける仕事を通して、自分にとって「本当のこと」を見つけたい人のお手伝いをしています。 書くこともとても好きなので『ことばの庭』というオンライン作文教室もしています。 このページを通して、どんな方と出会えるのかとても楽しみにしています。
カテゴリー: 㐧二音楽室のこと。, わたしたちの身体を通って出て来ようとする言葉たち パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です