ファシリテーターの僕が、『魂うた®』でもらった勇気。

9月4日、
僕ははじめて、
自分のつくった曲を
人前で披露した。

人によっては、
どうってことないように
思われるかもしれない。

けれど、
僕にとっては、
ほんとうに長い間、
できずにいたことだった。

「恥ずかしい」
「完璧じゃないものは見せられない」
「おこがましい」
「調子に乗っていると思われる」
「批判されるのがこわい」
「失敗したらどうしよう」
「緊張したら演奏が乱れる」……

といった
自分の中の考えが、
「やらない理由」として
いつも立ちふさがっていた。

というか、僕は
筋金入りの臆病者だから、
自分で道を
ふさいでいたのだと思う。

でも、できた。

やってみると、
ものすごく緊張したけれど、
どうってことないことだった。
(そして、気持ちよかった。)

だから、以下は、
少々大げさな話に
なるかもしれないけれど、

どうして、それができたのか?

という事について、
書いてみたいと思う。

『魂うた®』の現場で見つけたこと。

僕が、長年築き上げていた
「自分の壁」を超えられたのは、

ファシリテーターとして
『魂うた®(魂と繋がる歌の唄い方)』
の場を経験させてもらったおかげだ。

『魂うた』は、
本郷綜海さんが創始した
歌のワークショップ。

参加者の皆さんは、
それぞれ思い入れのある曲を
持ち寄り、唄う。

詳しい内容や感想は、
他の記事にまとめてあるので
そちらを読んでいただけたら
嬉しいのだけれど、

その『魂うた』を
自分で主催するようになり、
参加してくださった
皆さんの唄う姿をみながら、

僕は、
石橋を叩くようにして、
少しずつ
自分の臆病を溶かしていった
のだと思う。

その『魂うた』の現場で得た
いくつかの確信が、

だれかの役に立つのではないか

という気がして、
この記事を書いている。

ふるえたっていい。ただ、その人であれば。

人前で唄うというのは、
こわいことだ。

だから、
どんな人だって、
緊張したり、
いろんな反応にさいなまれる。

僕は『魂うた』に出会うまで、
そんなふうに取り乱すのは、
よくないことだと思っていた。

けれど、実際は、

その怖さや緊張、

あるいは、

呼び名のつけられない反応

きちんと感じて、

こちらにひらいて
見せてくれたとき、

ものすごい感動が
聴き手に届くことを知った。

声がふるえても、
歌詞がとんでも、
音程がずれても、

その人が
自分の中にあるものと
離れずにいてくれれば、

その人が
その人でありさえすれば、

圧倒的な感動を呼ぶ。

誰でも。

この事実ほど、
ステージに立つ僕を
勇気づけたことは、ない。

だって

「誰でも。」

なのだから。

お客さんは、味方。

『魂うた』をする前、
僕は他のひとを

「自分を否定する人」

あるいは

「楽しみを邪魔する人」

として
敵視するようなところが
あったと思う。

そんなことは
一度も起きた事がなかったから、
自分の臆病が生んだ
妄想なのだけれど、

そのせいで、
人前で唄う事を
ずっと敬遠していた。

でも実際には、
聴き手は、
自分の歌を唄うことを
応援してくれる仲間だ。

というか、
聴き手がいるからこそ、
自分はより本来の姿になれる。

そのことを知ったのも、
『魂うた』だった。

一参加者から
ファシリテーターになってからは
特にその実感が強い。

参加している聴き手が、
今日、この場所に
一人欠けていても、
今の見事な歌は生まれない。

毎回、そう確信している。

そして、歌い手が
きちんと聴き手のほうに
意識を向けたとき、

歌はつたわる。

敵意でも、防衛でもなく、
勇気をもって、
その心をひらいて
見せてくれること。

それが、幾度も幾度も、
感動の涙を呼んだことを
僕は知っている。

僕自身、
いつでも簡単に
できるわけではないけれど、

自分をひらくことが
お客さんを喜ばせる

ということを知って、
ステージに立つのが
楽しみになった気がする。

僕たちは勇気に、偶然に感動する。

どんなに上手に歌える人でも
「こなしている」歌は、
どこか物足りなくて、

技術はそれほどでもなくても
「懸命に」唄っている歌は、
心にとどく。

『魂うた』では、いつも
自分の壁を超えようとする
参加者さんの勇気に
感動させられる。

それは、オリンピックを見て、
アスリートの姿に興奮するような、
理屈を超えた感覚だ。

そしてまた、
懸命さには、
理屈を超えた偶然がともなう。

ある参加者の人が、
『魂うた』の感想に
「大きな存在を感じた」
と書いてくれたことがあったけれど、

その場にいるのが
自分一人ではなく、

聴き手のみんなも、
名づけようのない「なにか」も
存在しているんだ、
と思えたとき、

歌い手として
自分が担う範囲が、
それほど
大きいものではないように思えて、
なんだか安心感をおぼえる。

 自分(の歌)を、待っている人がいる。

これはもしかしたら、
自分に言い聞かせている
だけかもしれないけれど、

『魂うた』を通じて、
現れてくる歌や存在を
目の当たりにすると、

思わず

「世界はこれを待っている。」

と言いたくなる。
(し、実際に口にしてきた。)

僕たちがふだんの自分を超え、
より本来の姿を現したとき、

「この魅力を見たくない人がいるだろうか」

と思える歌になる。

僕の仮説だけれど、
たぶん歌だけではなくて、

絵でも、デザインでも、
なんでも、

その人の本来の姿が
発揮されることを、
待っている人は、いる。

『魂うた』の現場で、
参加者の皆さんに
そんなふうに言い続けたせいか、

今回、
自分の歌を披露するときにも、
僕はおまじないのように

「待っている人がいる」

と言っていて、
そのことは、かなり力になった。

おわりに。

自分でありさえすればいい。
お客さんは、敵じゃない。
勇気と偶然が、感動につながる。
自分を待っている人が、いる。

『魂うた』の場をひらく中で、
参加者のみなさんからもらった
これらの確信は、

いつのまにか、僕自身が
前に進む勇気になっていて、
とてもありがたく思います。

そして、これからも、
互いにトビウオのように
自分を飛んで超えていきながら、

人の奥底にある本来の魅力、

さらには、
人智を超えたなにかの魅力

に驚いたり、喜んだりして
進んでいけたらと思っています。

ということで、
長い文章になりましたが、

これまで『魂うた』に
参加いただいた皆さん、

本当にありがとうございました。

そして、
これから『魂うた』に
いらっしゃる皆さん、

心から歓迎します。

楽しみにしていてください。

㐧二音楽室 澤 祐典 拝


㐧二音楽室 澤 祐典 について

こんにちは。澤 祐典(さわ ゆうすけ)と言います。 「㐧二音楽室」という屋号で『魂と繋がる歌の唄い方®』『歌と相談室』『歌の稽古場』といった人と歌を結びつける仕事を通して、自分にとって「本当のこと」を見つけたい人のお手伝いをしています。 書くこともとても好きなので『ことばの庭』というオンライン作文教室もしています。 このページを通して、どんな方と出会えるのかとても楽しみにしています。
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